みんなのネオキャリア論(141)人生の最大の敵とは〇〇を気にすること | 損切り君がいく

みんなのネオキャリア論(141)人生の最大の敵とは〇〇を気にすること

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皆さんこんにちは。孤独のサイコマンです。きょうもオリンピック、猛暑、コロナの3本柱で日本列島は熱気に包まれています。また、火曜日には台風8号が上陸する見通しとなり、オリンピックにも影響が出そうですね。

そんな中、ご時世とまったく関係ない話で恐縮ですが、40代となり、最近人生の最大の敵とは

「他人の目を気にすること」だと痛感しているので、そのことについてお話していきたいと思います。

①学生時代の「他人の目」は両親と教師

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Photo by Jonathan Borba on Pexels.com

日本は義務教育がありますので、記憶がある限りでは、小学校・中学校・高校・大学と学生時代が最大で16年(大学院とかは少数ですので省きます)ありますが、この間に、評価を受ける物差しとなるのが、両親と教師になると思います。

私の両親は自営業であったこともあり、不安定な職業ではなく、会社員になって安定的な仕事に就くことが大事だと言われてきましたので、その結果、勉強ができたほうが、良い大学に行けるので、結果的に大企業に入社できる確率が上がるという、まさに王道ともいえる教育を受けて育ってきました。

勉強をする意味とかはあまり考えず、単純に同級生より優れているといわれるのが心地よいというだけで、本当に純粋に優越思考に基づいての動機だけだったと思いますが、勉強は結構一生懸命やったほうだと思います。

教師も単純なもので、勉強ができる学生のほうには色々と情報も丁寧に教えてくれますし、付き合いもよかった記憶があるので、子供ながらに「勉強っていうのはできていたほうが得をすることが多そうだ」というような発想しかなかったと思います。

それに倣っていえば、両親もいずれも大学にはいっていないので、いい大学にいけば、自分たちができなかったことを子供がするわけですし、ほかの同級生の親にも自慢ができるわけですから、そういう意味でも頑張る気にはなっていました。

さらにいえば、同級生の男子には優越感を得られるというメリット、さらにいえば、女子には勉強ができるので「もてる」のではないか、という安易な感覚があり、高校までは結構邪悪な考えで勉強は一生懸命やりました。

ここで皆さんにお伝えしたいのはこの発想は社会人になってから詰んでしまうのでやめたほうがいいということです。

文章を見返せばよくわかるのですが、16年間のほとんどが勉強ということに費やし、さらにいえば、これはなぜやっているかといえば「いい大学にいけばいい会社に入れる」という考えが大前提にあります。ではなぜいい会社に入ることが大事かと言えば「年功序列・終身雇用」のもと、良い給料を安定的にもらえる企業に入れば生活が安定して、安定した人生が送れるという考え方に基づいています。

究極的にいえば勉強をする理由が私の場合は「安定した生活をするため」だったということになりますが、本来勉強というものはそういうものではないのではないかと今更ながら考えています。

たとえば、国語、算数、理科、社会、図画工作、美術、音楽、体育など様々な科目があると思いますが、これを職業で突き止めていけば、国語だったら作家やシナリオライター、編集者、記者、webライター・・などが職業としてあるでしょう。算数なら、数学の教師、プログラミング、経理、公認会計士、税理士など数字に強くないとできない職業に向いているでしょう。理科なら物理学者だったり、冒険家、科学者、研究者など、美術なら、画家、作家、漫画家、ウェブデザイナーなど、音楽ならば、作曲家、作詞家、歌手、ミュージシャン、など、体育なら、スポーツ選手全般、トレーナー、整体師など、、、具体的にはもっとあると思いますが、専門職の入り口として自分に適した仕事探しとしての位置づけにすることが重要だったかと思います。

私がいけないのは、両親や教師のいわれた価値基準に従い、自分自身がどういう生き方をしたいのかという考えをしっかり育てないまま、大人になってしまったことにあると思います。

これは両親や教師が悪いわけではなくこの考え方に「疑問」をもって、「自分はどういう生き方をしたいのか」としっかり考える機会を自分で設ける必要があることだと思います。

幼少期にそこまで思いを至らせることは簡単ではないですし、ちょっとしたことで違う道だったり、思いもよらない出会いで新たな道に行くこともあると思います。こればかりは偶然だったり運命だったりすることもあり、一言で言い尽くせない世界でもありますが、一つ重要なのは「とにかく自分の生き方を探し続けること」にあると思います。他人の目を気にしていると邪念が生じて相手にあわせてしまい、自分の心にうそをつき始めることになり、後々苦しくなりますので、ここでは特に若い方々に「自分の心に正直に生きることが一番大事」だということをお伝えしたいと思います。

②社会人の他人の目は「評価権者」

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Photo by AaDil on Pexels.com

長い学生時代が終わると次に最も長く続くのが「社会人生活」です。20歳から死ぬまで続くこの人生において、大半の人は会社に勤めることになると思いますが、

こで一番の他人の目というのが「評価権者」ということになります。

いわゆる「上司」です。

上司というのは、これまで学生時代の両親とか教師とかとは全く異次元の人間です。

というのは両親は無償の愛が前提としてあり、教師は「お金をもらって奉仕をしてくれている」公務員であり、あなたの親からお金をもらって奉仕をしてくれているので、立場としては究極的にいえば、あなたに強くものをいうこともできませんし、あなたの意見をねじ負けてまで強制的に何かを強いることもありません。そういう意味では「安全パイ」の範疇の人間です。

たまにおかしい教師もいますが、それは両親から強制的に交代要請してもらえばいいだけですし、学校を変えれば済む話であって、特にノイローゼになるようなこともありません。

それにかわって、問題なのが、上司というのは立場が上になってしまいます。というのも、企業は営利目的となるため、あなたには容赦なく成果を求めてきますので、お金をもらっている以上、強制的に労働をする義務が生じる上に、仕事の評価をされるのが、人生でまったくなんの絡みをしてこなかったただ偶然、同じ時代に同じ企業に所属した年齢の20歳くらい上のおっさん(おばさま)があなたの評価を圧倒的な恣意性が起こってくるというこの不条理に耐えなければいけなくなるということです。

個人と企業があって、その先に消費者がいますので、残念ながらあなたから消費者を見ることは大変に難しくなります。完全にその目の前にいる上司の恣意性にあなたの人生をゆだねなければならず、一種のギャンブルといってもいいでしょう。

さらに問題なのは嫌ならやめればいいということなのでしょうが、日本企業は一度やめると2社目、3社目、4社目とどんどんより待遇のよくより人がいい、ホワイト企業にいける可能性が低くなっていくことです。

なぜかというと何度もいっていますが、終身雇用・年功序列制度の中で、残念ながら、やめるということはその忠誠心がないこととみなされて次の会社も「この人間はうちの会社に忠誠芯を尽くして働いてくれるのか?」という疑問符が生じてしまいそれが1社、2社、3社となっていくとどんどん増幅していき、最後のほうでは正社員にすらなれず、不安定な個人事業主になるか、派遣社員などになるしか道がなくなるというリスクがあります。

もちろん、自由度は圧倒的に高まりますし、ある程度貯金や金融資産の運用で定期的なキャッシュフローがあるならばそういう生き方でもオーケーですが、いまのことろまだそこまでのマネーマシンができていない場合はあたな自身の人的資本だけが頼みになるため、そうそう大胆な行動にでることができません。

それが日本社会の問題点であり、この窮屈性なのですが、この上司の顔色伺いながら何十年も生きなければならないということこそが日本の悪しき社会慣習であり、これを打破するためには、企業制度を崩壊させるしかないと思っています。組織をつくったほうが、攻撃力防御力、統率力、などメリットがたくさんあると思いますが、もっと個人個人の意思が前面に出た社会を今後は構築していく必要があるのではないかと思います。

上司の顔色をうかがいながら仕事をしている人は速攻でその生き方をやめるべきです。上司は変わるうえに顔色を窺っても評定はかわりませんし、なめられて落とされる可能性が高まるだけです。

③他人の目を気にしない生き方をするためには

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Photo by Ece AK on Pexels.com

他人の目を気にしない生き方をするためにはどうしたらいいのでしょうか。

私もいまだにそれができず苦労しています。

逆にたまに全く気にせず、ズバズバ意見をいって衝突も意に介さず、天然で済まされている人って結構周りにいたりして、「この人ってどうしてこんなに他人の目を気にせず生きることができるのだろう」と考えたりしてきました。

その結果、いくつかの傾向があることがわかりました。

一つ目としては「金持ち」であることです。会社で働く理由は生きがいやりがいもあるでしょうけど、生活のためのお金を稼ぐことが何よりも優先されると思います。ですから、目的がこの「お金」ではない場合、別に上司の目、同僚の目、後輩の目を気にする必要はなくなります。

実際、「この人ってあまり人の目を気にしないなあ」というタイプの人は「お金持ち」「資産家」が多い傾向がありました。

父親が会社の社長で資産何十億、仕事は趣味だった・・・・。みたいな女性社員であったり、祖父がある企業の会長で、息子が先輩だったのですが、上司にも平気でかみつき評価なんて一切気にしていない雰囲気があり、調べるとそういう背景だった・・・ということです。

やはり、逆に他人に結構気を使いながら、目は笑っていないタイプはあまり生活が豊かではなく、よりよい生活を求めて転職を繰り返すもうまくいかず、流れ流れていまの会社に・・・強く出たいが、子供もまだ小さく、嫁さんも専業主婦で、自分がダメになったら一家が路頭に迷う・・・みたいながんじがらめの人が多い印象です。

これはもうどうしようもできないですし、生まれを気にしても仕方ないので、あきらめることにして、もう一つは「自分の仕事に異常な自信を持っている」ケースです。

もっというと、根拠のない自信を持てるかどうか?ということにもなりますが、これは性格で片づけてしまうにはあまりにもなので、根拠のない自信を持っている人間というのはどういうタイプなのかいいますと、「過去に何か成功体験がある」。例えば学生時代にスポーツやっていて全国大会に出たことがあるとか、優勝経験があるなどの成功体験が一つでも持っている人間は妙な自信家が多いです。

一方で、他人に関心がまったくないタイプというのもいます。これは生来、他人に関心がないため、他人の目をそもそも気にしない性質であるということです。よく全く群れずにとっとと終業チャイムがなったら帰宅する人とか変人扱いされるようなタイプがいると思いますが、こういう人間は、群れることになんの関心もなく、評価なんていうのにも関心がないタイプです。もちろん生活があるので働くことは働くのですが、特に特技があるわけでもないですし、何か過去に成功体験があるわけでもないのに、他人の目なんてこれっぽちも気にしないで生きることができるうらやましいタイプの人間です。

こういう人はかなりレアケースであり、私も過去数人しか会ったことがありません。よほど達観しているのか、こういう人間は哲学書を多く読んでいる節はありますが、人間というものはおろかでくだらない動物にすぎないなどと、超越した思考をしているため、こちらとしてもこれ以上アプローチのしようがないということになります。

こういう人たちを真似してもとてもではありませんが、他人の目を気にせずすぐに生きていくことはできませんので、私がこれまで悪戦苦闘しながら、試みた方法をいくつかお伝えしていきます。

一つ目は「筋トレをして体をでかくする」ことです。男子も女子もそうですが、筋トレして胸板や腕がでかくなるだけで、結構メンタルが変わってきます。昔は上司や先輩に嫌味でも言われたら、沈んだ気持ちが、嫌味なんていってきたら「あ!?何言ってんだこの爺は」という風にへたしたら言い返してしまうくらいの好戦的なタイプにかわっていきます。

争いは好まないという方もいると思いますが、社会は戦争です。交渉してより優位な条件を勝ち取り続けられるかどうかということが勝負です。これはもちろん、好戦的だけではだめで相手の譲歩を引き出すにはマイルドな物言いや、話の進め方、雰囲気づくりなど、色々と戦略を立てる必要がありますが、残念ながら、こういう爺に気を使ってもなんの意味もないので、徹底的に攻撃してもいいと思います。私は和平を尊び、争いを好まないので、譲歩、調整をしてきましたが、結局それをしても、自分が体を壊して、自己主張しまくりの連中が生き残るということがわかったので、もう譲歩・調整はしなことにして、不義理をしたり不条理なことをしてくる連中には徹底的に戦うことにしています

みなさんもいい人なんですよねと言われているならば、それは危険信号なので、即刻、悪い人になって、面倒くさい、付き合いづらい、敵が多い人になるのが大切です。相手にいいように操られて、搾取されるだけであって、メリットは何一つありません。調整できるからとか誰かが俺のこの我慢を見てくれているなんてことは一切ありません。むしろ、相手を蹴落として、上にいこうとするくらいじゃないといけません。そういう性格の悪さが実は人の目を気にしなくなる大きな要素となります。

学校や家庭では「相手のことをおもいやりなさい」と言われたと思います。それは言っておきますが、立場が弱い人(女性、子供、お年寄り、障害のある方、病気の方)などのことをいっているのであって、立場が強い人間(上司、後輩、同僚、元気な一般人)に対してのことではありません。容赦なく、ふざけた主張をしてくる人間には上も下も横も関係なく蹴散らす決意をもって生きていきましょう。気が弱いとか、他人と意見を言い争いが嫌だとかいっている場合ではありません。そんなことしていたら、あなた自身が滅びます。どうしても思いやりをもちたいなら、解脱して仏門でも入るしかないと思います。

この煩悩の現世で生きているならば、近寄ってくる人間は地獄の使徒だと思い、徹底的に戦うしか生き残る方法はりません。(了)

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