みんなのネオキャリア論(140)日本が「憂鬱な国」のワケを考える | 損切り君がいく

みんなのネオキャリア論(140)日本が「憂鬱な国」のワケを考える

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みなさんこんにちは孤独のサイコマンです。連日猛暑で暑さ対策が難しい日が続きます。

オリンピックも始まりましたが、オープニングがドラゴンクエストで驚いた方も多かったと思います。私世代(40代)はまさにど真ん中であり、感動しましたが、知らない若い世代では「え?」と思うのではないかとちょっと複雑な心境でした。

さて、今日は日本が憂鬱な国のワケを考えたいと思います。

幸福を感じるに重要なものはお金と時間、社会資本(家族・友人・恋人)だと思います。

ここでこのうち2つを占めるのお金と時間に深くかかわってくるのが労働だと思いますが、この労働の仕組みが日本はいまだ特殊で硬直化していることが問題ではないかと思うのです。

これを私の20年社会人で生きてきた実体験をもとに考察していきたいと思います。

①悪の慣習「年功序列・終身雇用」

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一つに日本はとっても転職しにくい風土があります。

私は2回転職しましたが、会社はいずれもマスコミで転職者がそれほどまだ多くない業界でした。

外資系のように転職当たり前というわけではなく、1回目はやめる際に上司から「お前なんか絶対成功しない」とこれまでの態度を掌がえしで罵倒されたのを覚えています。

また2社目は転職した人間でやめた人間がその会社で私が初めてでした。当時の上司は1社目よりはソフトではあったものの「もったいない。せっかくグレードがあがったのに」と何度もいわれました。

どちらも入社するよりも退社するときのほうが圧倒的にエネルギーを浪費したという点では離婚と似ているのかもしれません(笑)

なぜ退職する際にこれほどエネルギーを浪費するのかというと時代がまだ転職が当たり前ではないからだろうなと強く感じました。

私がやめた2社はどちらも転出者は圧倒的に少なく、今いる3社目の企業も実は転職者はものすごく少数のために色々と弊害があります。賃金制度が整っていなかったり、プロパーの村社会ができてしまっていて、そこに入り込むのに無駄なエネルギーを使わないといけなかったり・・

逆に同じ業界でも転職者が多い会社というのがありますので、私としては今思えば転職者が多い会社を目指すべきだったと思います。そういう会社のほうが新参者を受け入れる土台がありますし、会社の人事制度などもきちんと中途採用にも理解されやすいものに仕上がっていることが多いためです

日本企業は全世界的にも珍しく年功序列・終身雇用制度を維持している会社が多いのが特徴ですが、これが今の時代にマッチしていないため、鬱っぽいサラリーマンが多い理由だと思うのです。

これほど、社会が流動的で、人種の垣根、民族の垣根、国境の垣根、年齢の垣根、性別の垣根、現実とバーチャルの垣根がどんどん消えていく中で、会社とおいう組織の垣根も消えていく時代に入っています。

ピンポイントで人事は人を採用するようになるでしょうし、仕事も年功序列・終身雇用にありがちな総合職採用ではなく専門職採用がもっと増えていくことになるでしょう。ジョブ型雇用がどんどん増えていく流れは間違いないわけですから、メンバーシップ制度の崩壊は時間の問題です。

ですから、そういう流れの中で、年功序列・終身雇用を維持するのはもう無理だと思います。この意見に反論されることで考えられることは「生活の保障」の代名詞であり、ローリスク・ローリターンであったのが、ハイリスクハイリターンの時代に仕事も入っていくということになるのではないか
ということですが、それはもう仕方ないことだと思います

人ものカネが流動化すればするほど、同じ場所で同じ仕事をやっていることは許されなくなると思います。もっと軽やかでもっとしなやかでもっと早く動いて動いていく人間ではないと取り残されるのは仕方ありません。

新しい知識経験をどんどん取り入れて、どんどん人的資本を膨らませて、自分の価値観を固定化せず、他人を受け入れ自分を成長させていき、新しい世界に飛び込んでいく度胸と勇気と性格などが必要になっていくと思います。

いわゆる職人気質ということが死後になるのではないか
ということになりますが、そうではありません。むしろ専門性を活かしたほうが様々な業種を転々としていけるのではないかと思います。

営業にしもて経理にしもて企画にしても、色々な職種があると思いますが、経験をどこの業界で生かせるかはその人次第ですし、長所を掛け合わせることができればより自分の強みになるのではないかと思います。

よく自分のハッシュタグをあげて、それを掛け合わせるのがいいということを言う人がいますが、まさにその通りだと思います。

②同じ会社にいることはもはや害悪でしかない

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この最大の憂鬱の源である会社の特徴ですが、年功序列終身雇用を敷かれているため、

退職金目当てになかなかやめることができない仕組みになっています。

ただ、同じ会社にずっといることはこの時代、もはや害悪でしかないと思います。

なぜ害悪なのかというと「人・モノ・環境」が全てずっと同じであることが大きいと思います。

私でいえば、1社目も2社目もずっとそこで働いていたら、ある程度、立場も与えられて、裁量も増えて、ちょっと意地悪な言い方をすれば「でかい顔」もできるようになり、発言力もまして、ストレスも減っていくことになると思います。

3社目ですら、発言力がまして、ストレスが減ってきたのは、5年たったくらいからです。

それまでは、長年勤務しているスタッフから社員であるというのも理由かもしれませんが、

とにかくいじめにあいました。データを消去したんではないか?というとんでもない疑惑をかけられたり、(こんなスタッフを採用している企業に入社してしまった自分が悪いのですが)。飲み会ではスタッフにひたすら絡まれ「死ね」「給料泥棒」などと犯罪ともとれる言葉を浴びせられたり、(このスタッフは人事部に通告したにも関わらずいまだ普通に働いており、いつか制裁を加えたいと思っていますが・・)、

なぜ、こういうとんでもないスタッフが野放しになっているかというと長いので安値で使いやすいからにほかなりません。社員だったらある程度給与水準を高く設定しないといけませんが、スタッフの場合はいわゆる派遣社員ですから、給与は派遣元が払うわけで、派遣先は労務管理などだけしっかり行っておけば問題はないと考えています。

仕事もある程度年次がたてばできるようになりますから、ちょっとやそっと人格に問題があってもその代替要員を埋めるのにまた時間と手間がかかりますから、そのまま、その人間に安値で仕事をしてもらっておいたほうが得だということになります。

いわゆるパワハラだのセクハラだのいじめなどがなくならない理由はいわゆる経営者側であったり、学校であれば校長などの幹部クラスが改革するのが面倒くさいからにほかなりません。

人間は基本的に面倒くさいことが嫌いです。

ですから、パワハラ・セクハラなどの仲介に入ったりその人物を辞めさせたり、異動させたりすることをなかなかしないのも「面倒くさい」からです。セクハラはまだ明確になりやすいので、対応をせざるを得ないと思いますが、厄介なのがパワハラのほうでしょう。指導育成との線引きがあいまいのために「これはお互い様じゃないか」などと、適当にお茶を濁してスルーするという方法がいいと思っている輩が多いのも事実です。

現に私の上司も典型的にこのパターンの人間であり、周囲がさんざん「あの人間はパワハラをしている」と訴えても、「お互い様だからなあ。お互い気を付けよう」とかわけのわからないメールを一本送っておしまいにしようとするとんでもない上司です。

自分のことしか考えていないため、過重労働勤務になっていてもまったく修正もせず、パワハラを受けていてもまったく注意もせず、自分自身は楽をして趣味さえしてればいいという考え方なので、結局2人相次いで退職休職する事態に陥ることになってしまったのです。

当事者からすると、2人いなくなったところで、ほかのメンバーが穴埋めするので痛くもかゆくもないのですが、とんでもないことだと思っています。

普通の企業でこういう人間がいたら即刻処分で異動させられると思うのですが、こういう私が勤めているような大企業で老舗企業はとにかく腰が重くまったく改善しようともしないため、また次の被害者がいつでてもおかしくありません。

とにかく、高い賃金をもらっている管理職が楽をして、苦労している若手が安い給与で働かされているといいう意味不明な終身雇用。年功序列の賃金モデルを改革しない限り、日本の生産性は間違いなく下がっていくと思います。

それがわかっていてあえてこの仕組みを継続するならば、もはや日本という国自体がもう成長しなくていい、静かに暮らせればいいみたいな人間ばかりいる萎縮した国に成り下がり、もはや、終わった国になるオワコン国家と呼ばれるのも時間の問題だと思います。

③社会資本がオワコンである

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最後は社会資本がオワコン化しているということです。

家族、友人、恋人、夫婦・・社会資本は人生を豊かにする上で大変に大事なものです。

絆ともいっていいでしょうが、労働市場であくせくして働いて手に入れたお金と時間をどこに投下するというとこの社会資本に投下するという人が一番多いのではないでしょうか。

もちろん、お金をもっと増やしたいというような私みたいな人間は金融資本に投資して株式を購入したり不動産を購入したりしてより効率的に錬金術を編み出そうと努力をする人たちもいると思います。

人それぞれではありますが、それはそれとして社会資本であっても100%依存してはいけない時代にきているということはいえます。

家族にしても、家族内でのトラブルは日常茶飯事になってきています。相続の話であったり、嫁姑の話や、お金の話、仕事の話、結婚の話、頼れるはずの家族であっても相談したことで悪化したり、最悪の場合はトラブルがこじれて事件になってしまうケースもあります。

引きこもりの子供が親を殺害してしまうケース、引きこもりの子供を親が殺害してしまうケース、老老介護による5080問題で親を殺害してしまうケース、またその逆で子供の暴力を恐れて殺害してしまうケース、どれも悲惨な事案でありますが、お金と時間が足りないために起こったものが多いです。また、感情論で大切な社会資本は一瞬で失ってしまうというケースでもあります。

結婚にしてもそうです。厚生労働省によりますと、2019年の離婚件数は20万9000件、2分に1回離婚しており、その離婚率は35%ということですから、とんでもない数字だといえると思います。しかも年々増加傾向にあるということです。

なぜそういうことになるのか。最初は結婚したときは「もうこの人しかいない
」(中には戦略的に結婚している人もいるとは思いますが・・)ということで結婚をすると思いますが、実態として恋愛と結婚は別物であるということがわかっていないと大変なことになるということです。

私も結婚したのは30歳のときに22歳の職場で知り合った女性と結婚しましたが、これはもういってしまうと見た目100%で結婚を決意しました。かわいくて若くて明るくて・・といったことで結婚しましたが、これは恋愛ならいいのですが、結婚となるといろいろな障壁があります。

それは、まず一つ目が「親」です。相手の親や自分の親がかかわってきます。私の場合は相手の親に嫌われました。それで、うまくいかなくなりました。

二つ目は「生活のスタイル」です。みなさん細かい話だと思いますが、朝起きてから夜寝るまで当たり前ですが、人間は生活スタイルが違います。食べるもの、着るもの、出社時間、帰宅時間、自由時間の使い方・・・などなど、もっというと気温などクーラーの使い方から、掃除洗濯家事などのやり方まで全部違います。

これらは100%一致する夫婦なんてありえません。さらにいうと一番厄介なのは「お金」の価値観です。これがずれていれば間違いなく破綻します。たとえば相手の家族が金持ちで、食費が高くなっても気にしないタイプだとあっという間に家計は破綻します。そういう感覚が一つ一つうまく調整できればいいですが、それは相手も自分も長い時間そのスタイルで生きてきているわけですから、簡単に相手にあわすことはできません。

それをうまく調整するのがこれがまた「お金の力」であったりするのですが、残念ながら世の中の大体の世帯が平均年収程度の生活なのですから、それに頼ることはできません。

それ以外に普段の生活スタイルが違うことによるストレスに加えて、有事のストレスというものがあります。病気、事故、リストラ、介護などさまざまなことが起きます。普段なら、許されることであっても、こういう危機的な状況に陥っているときに相手にやさしくすることは容易ではなくそれは相手も同じですので、こういうことで相手の人間性が露呈して離婚してしまうケースもあります。

要するにどんなに想像しても相手の本性を見抜くことは容易ではないですし、イチローもいっていましたが、結婚はギャンブルです。うまくいけばいい人生になりますし、悪ければ、大きな損失になります。

いまは結婚せず事実婚で同棲するという生き方も増えていますが、それはそれでいいと思います。リスクを減らすという点では大きな進展でしょう。家にしてもローンを組んで購入するということが昔は当たり前でしたが、それもやめて、賃貸が増えています。インフルエンサーも賃貸にしたほうがいいという意見が多いのもうなずけます。

日本で憂鬱な国である理由についていろいろお話してきましたが、

情報が増えているというのも理由としてあります。情報過多で何が正解で何が不正解かわからなくなっており、それが方向性を見失わせて、鬱になるということもあります。一つのことに打ち込んでいるほうがよほど生産的であるかもしれません。

だから、好きなことを仕事にという言葉がはやっているのかもしれませんが、私の考え方としては好きなことも移り変わるので、硬直化しないことが一番重要だと思います。私はいまとっても硬直化しています。なぜなら、大学のときにどうしても行きたかった業界で入社が難しく年収も高くきらびやかと言われている業界にようやく35歳で入れたのですが、ふたを開けると圧倒的効率の悪い仕事、性格の悪い上司、意味不明な言動の同僚、意味不明な人事制度、意味不明な給与体系、みな暗く、コミュニケーションが取れない若手スタッフたちに囲まれ、知識も何もないのに仕事をふってくる人たちに囲まれ、あこがれていた世界は地獄の一丁目と変わっていきました。

視野がせまく、自分たちが正しいことをしていると疑わないいかれた感性の中で、客観視して生きてこなかったプロパー人間たちに囲まれ自省することもなく鬱屈とした日々を過ごしていますが、これはどこの会社でも起こりうることで、どの人の人生でも起こりうることです。

重要なのは軌道修正をすることです。硬直化をすれば、すぐに行き詰ります。変化を嫌うのが一番うつ病になります。変化を恐れていたらあっという間にうつ病の世界にいきます。

これだけ世界の動きが激しいのに自分だけ変化しない場所に身を置き続けるのはリスクしかありません。私は変化しようと日々抗っています。変化することは容易ではりませんが、できなことではありません。強力な意志が必要ですが、一日一日を生きようと決意すればなんとかなるでしょう。

覚悟が必要です。変化するには圧倒的な覚悟が必要です。相手に嫌われるのはもちろん、争うこと、言い争うこと、面倒くさい奴だと思われる覚悟が必要です。私がそれができてきませんでしたが、

なんとか性格を捻じ曲げてもやりたいと思っています。いま鬱屈としているみなさん、覚悟さえもてば変わります。あなたを助ける人は誰もいません。あなたが同じ場所でとどまっている限り気づかないことも多いです。気づくには歩いて走ってよじ登って見えない景色をみないといけません

私もよじ登ります。あなたもよじ登ってみませんか?(了)

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