みなさんこんにちは孤独のサイコマンです。
人生は本当に次から次への困難が押し寄せます。「私はずっといい人に囲まれて恵まれた人生です」というコメントをしている人がたまにいますが、それは間違いなく建て前です。裏ではいろいろな葛藤、問題に直面しているのは間違いありません。
病気、事故、死別、リストラ、離婚、事件、失業、事業の失敗、コロナ禍、災害・・あげればきりがないですし、同様に、いつだれが巻き込まれてもおかしくないのです。
ではこういった困難に遭遇したときにどうしたら乗り越えられるのか?社畜歴20年で離婚もパワハラも休職も経験してきた私なりの考えをお伝えします。
①諸行無常を知る
諸行無常とは、世の中のすべてのものは移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということです。
そこから転じて人生ははかなくむなしいものであるということを意味しますが、平家物語の語りだしの有名な一句に「諸行無常の響きあり」として出てくるので知っている人も多いと思います。
私は、この言葉をいつも胸に刻んでいます。良いときも悪いときも悲しいときもうれしいときも、つらいとき苦しいとき、楽なときも、人生は無常であるということが理解できていれば、乗り越えられると思います。
40年の人生を振り返って思うのは「今この瞬間は二度と戻らない」という事実だけです。
思い出は残ります。しかし、物事はすべてなくなり、かかわる人間も交友関係もすべて移り変わっていきますし、自分の肉体自身も弱まり朽ちていく過程でしかないのです。
ただ、達観しすぎても人生は面白くないと思いますので、ある程度、わきまえつつ、この境地に早く達すること以外に、苦難を乗り越える方法はないと思います。
人生は本当に難しいと思います。最初の挫折はいじめでした。中学時代までは比較的同級生とも仲良くやっていましたし、試験勉強は大変でしたが、高校入学試験も合格し、希望を胸に高校生活をスタートさせる予定でしたが、
大きな挫折がありました。
それはまず最初に進学校に入学したために、いままで勉強は比較的に上位に入っていましたが、それが、上位に入れなくなり、いわゆる勉強において、「普通の学生」となりました。
また、中学までは女の子の同級生に告白されたりすることもありましたが、高校に行くとそういうこともなく、女性の関係でも「普通の学生」となりました。
また、中学時代からすでにそうでしたが、スポーツにおいても、小学校時代まではある程度できる部類(リレー選手は6年連続)などありましたが、
高校時代はむしろ運動はできない部類に入ってしまいました。
さらに、気が弱い性格が災いして本格的な「いじめ」というものにあいはじめてしまいます。
とにかく高校時代は暗黒の時代であり、私は「早く3年間が過ぎてくれ」としか思っていませんでした。
やはり人間は何か他人より優れたものがないと劣等感を抱きます。それにより、人生が楽しくなくなり、毎日が鬱屈とした人生を歩むようになります。
いわゆる「自分はふつうの取り柄のない人間」ということを認めざるを得ない状況に陥ってしまったのが高校生活なのです。
このころはもちろん諸行無常などということは考えることもできず、ひたすらつらい思いをしていましたが、ただ、それこれも、今思うと、高校時代の人間がどこで何をしているかもしれませんし、社会的に有名になっている人間は一人もいませんし、どこかで誰かと結婚して子供をつくって普通の生活をしている(中にはアングラ世界にいったり、挫折をしてしまったりしている人もいるかもしれませんが)と思います。
要するに、自分の今見えている景色には高校時代の人たちは誰一人登場しませんし、おそらく私が死ぬまで誰とも交わることはないという事実だけです。(同窓会など奇跡的に開催されたら別ですが・・)。ですから、みなさんの中で、学生でも社会人でも人間関係などで悩んでいても、それは無常です。みんなあなたの前からいつか必ずいなくなります。残念でもありうれしくもあるかもしれませんが、冷静に考えるとただ無常でしかありませんよね。人生はそいうものです。形あるものはいつかなくなります。
②不条理が当たり前だと認識する
高校の挫折を乗り越えるため、有名大学をめざし、一浪しながらも、某私立大学に入学し、ここで、少し挫折の人生から復活をします。
髪型をととのえ、服装も気に掛けるようになり、ダイエットもしたら、
不思議と女性もまた寄ってくるようになりました。ここで、彼女も大学ではじめてできるなど、楽しい人生に少しずつ戻すことができたような記憶があります。
しかし、そんな「楽しい」生活も大学4年間で終わりを迎えます。
それが就職活動です。私が就職活動をした2000年前半は就職氷河期まっただなかで、大変厳しい情勢でした。唯一民放テレビ局の4次面接まで進んだのですが、なぜか体調不良で遅刻してしまい、落ちてしまうという失態をおかし、人生でおそらく最も落ち込んだのではないかと思います。
しかし、実家も自営業だったこともあり、そこまで金銭的に余裕があるわけではなく、なんとか内定を取る必要があったことから、最後1社だけ内定がとれた会社に就職することを決めました。内定が決まったのが5月でしたが、そこから翌4月までは卒業旅行をしたり彼女と遊んだりと最後の学生生活を満喫しました。
ここで、いよいよ社会人としてスタートするというときに、最悪のスタートとなってしまったのです。
大学最後の海外旅行をしている最中に「一度赴任先の支店長に電話をしてほしい」と会社から言われ「旅行中になぜ?」と思ったのですが、やむなく、海外の電話ボックスから電話をかけたのを覚えています。
そこで出た人間が私が長らくパワハラで苦しめられた元上司です。
これは高校時代の暗黒時代とはワケが違います。まさに生きるか死ぬかの地獄のパワハラが待っていました。
赴任したのは4月中旬ですが、とにかく、遅い時間まで働かされました。いくらそういう時間があまりあってないような仕事ではありましたが、朝まで仕事をさせられたこともあり、もう、「やめたい・・やめたい・・」と毎日思うようになっていました。
どうして、こんな上司なのか?あとで人事部に聞いたら「きみが〇〇を海外旅行なんてしていたから、タフな人材だと思って」というあきれた回答でした。
この元上司は全国津々浦々支店があるなかでも圧倒的にパワハラで有名な元上司で過去にいた支店のメンバーは次々うつ病を患っていたのです。
そんなところに新入社員を配属するのは内部でも議論になったようですが、「彼なら大丈夫だろう」という根拠のない理由で、配属が決まっていたのです。
私はもうこの上司と過ごした1年半は地獄でした。何度もやめようと思いましが、当時実家が自営業で業績も悪化し仕事をたたんだこともあって、簡単にやめられるような状況ではなくなっていたこともあり、やむなく続けていました。
同期のなかでは「上司が変な奴だからやめた」という人もいて、やはりある程度資産があるためやめられたようですが、うらやましいと思いました。
こういう不条理というものをどれだけ受け入れられるか。自分のおかれた状況などどうしても納得できないこともあると思いますが、そもそも社会は不条理で成り立っています。それをどこまで達観できるかも今後の人生で重要な事です。
私の場合でしたら、就職氷河期に就職活動のタイミングがあたってしまったこと、上司がめちゃくちゃパワハラでやんだこと、実家もたまたま自営業をたたみ、財政的に苦しくなっていたこと、急に彼女が別れを切り出してきたこと(遠距離になるとそういうリスクは常につきものです)・・・など一度に不幸というものは押し寄せるのが私の人生の「あるある」です。
「なぜこのタイミングで・・」ということってよくあると思います。
私は転職2回していますが、実は転職2回目で、結婚相手と仲が悪くなるタイミングがほぼ一緒になり、3社目の入社日の3日後に離婚しています。
つまり、職場環境と家庭環境がいきなりどちらもリセットされたのです。
これは人生で最もきつかったかもしれません。
みなさん離婚をしたことがある人はわかると思いますが、ずっと一緒に暮らしていた人間がいなくなるのは「めちゃくちゃ地獄」です。それがたとえば暴力を受けていたとか、ずっと仲が悪くいなくなってほしいと思っていたとかなら別ですが、それでもある程度辛苦を共にしてきた相手が突然いなくなるのは地獄です。
さらに、職場までかわり、中途社員ですので、気を使いつつ結果を残さなければならない日々が続き、もううつ病うつ病です。やりたい仕事だったはずなのに、まったく面白くなく、「なんでこの仕事をやっているんだ俺は」と毎日思っていました。
しかし、これも不条理です。受け入れるしかありません。それが人生です。みなさんも不条理を受け入れてください。そこから人生ははじまります。
③踊る阿呆に見る阿呆
みなさん踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損ということわざがあります。
徳島の阿波踊りの歌いだしとして有名ですが、見ている側も踊る側もどっちもどっちという意味なのですが、私はこの言葉が人生で大変意味のあるものだと思っています。
社会に出るととにかく、「理不尽なことばかり」起きます。会社は自分の思い通りの部署・人間がいるところに配属してくれませんし、給与も思通りあがりませんし、どんなに努力しても、評価されないかったり、パワハラにあい耐えらず休職・退職することも最悪あります。
私も、20年の社会人人生で嫌な事もたくさんありましたし、「どうしてこの人間は自分の足を引っ張るのか」「どうしてこの人間はこういう態度をとり続けるのか」など、思い通りにならないことが有り余るほどありました。
努力しても努力しても泡の中を泳いでいるような感触。なんとか転職に成功しても行き着いた場所がまた地獄だった・・ということもありました。
しかし、今思うと、すべて、「自分のとらえ方次第」だと考えられるようになってきました。
結局、結果はすべて自分の見方、もののとらえ方で見えてくる景色は違ってくると思うようになれました。
みなさんも見る阿呆ではなくどうせなら踊る阿呆になりましょう。悲しんだり苦しんだりすることもあると思いますが、結局人生は阿波踊りのように踊り続けるしかありません。参加し続けることに意義ありますので、とにかく前向きに明るく「阿呆」になって踊り続けましょう。
そこから、何か見えてくるものが必ずあります。とくに若い方は今コロナで失業したり、仕事を失ったり、目指している仕事につけなくなったりして先が見えず、落ち込んだり、途方にくれたりすることもあると思いますが、
私も何度もそういう厳しい状況に陥ってきましたが、それでも、、前に前に向いていけば、必ずいい事がまっています。何度でもスタートできます。それは私が断言できます(了)
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