みなさんこんにちは孤独のサイコマンです。きょうは「不幸」の定義について考えたいと思います。
というのも、先日起きた小田急線刺傷事件で被疑者の男が「俺はなんて不幸な人生」という話をしているという報道があったからです。
不幸な人生ということですが、この男が何をもって「不幸な人生」と言っているのかがいまいちよくわからず、自分なりに分析したいと思った次第です。
①激しい「思い込み」があるのでは
被疑者の男は報道によると、「幸せそうな女性を見ると殺したいと思うようになった」と話しているということで、さらには「大学時代にサークル活動で女性から見下され、出会い系サイトで知り合った女性ともうまくいかず、勝ち組の女性を殺したいと考えるようになった」と話しているということです。
男はナンパ師を自称していた時期もあるようで、ナンパがうまくいかないことも女性への敵愾心が膨らんだ背景としてあるかもしれません。
通り魔事件というのは過去何度も起きていますが、共通していることが
「思い込み」にあるということです。
たとえば、両親が貧乏で満足が教育を受けられず、派遣になって貧乏な暮らしをせざるをえない・・とか、顔が不細工だから、女性にもてず、楽しくない人生を送っている・・とか、性格が暗く誰も友達がおらず常に孤独な人生・・とか、不器用で対人関係がうまくいかず、職場でいつもトラブルになりすぐにやめてしまう・・・・など、上げればきりがありません。
これらは確かに、私にも当てはまるケースもありますし、もともとすべて満足できるような人生を送っている人は少ないと思います。
男が言っている「不幸な人生」というのは背景はわかりませんが、どうやら大学も理工学部に入学しているようで、途中でやめているようですが、ある程度お金もあったと思いますし、派遣やアルバイトで生計を立てていたということですが、逆に仕事ができるくらい体は健康だったということです。
いずれせせよ、「不幸な人生」というほど、条件が完全に悪いとはちょっと思えないかな・・と思うのです。
映像で見る限り、見た目もそこまで悪い気もしません。背もそこまで低いようにも見えません。太ってもおらず、髪もふさふさしています。
世の中、背が小さいこと、禿であること、デブであることなどを本当に悩んでいる人もいますし、そもそも外出できないようなうつ病で引きこもってしまっている方もたくさんいます。
病気で外出もままならない、働きたくても働けない人もたくさんいます。
この男は、それらの方々の大変さ苦労などに思いをはせることはできなかったのだと思います。
自分より不幸な人、劣っている人を探せということを言っているのではなくて、人はそれぞれ、おかれている立場や状況、考え方がみんな違うので、不幸という定義もあくまでもその人それぞれの思い込みにすぎないということを言いたいのです。
私も高校時代に激しくいじめられ、今でも「あいつ許さん」と思っている奴が何人もいますし、大学は卒業できましたが、社会人になってからはことごとく上司が変なおっさんでパワハラ気質で、朝まで仕事させられたり、いきなり気性が激しく、ブチ切れられたりとそんな情緒不安定な人間の相手を3年とかさせられ、こちらが気が狂いそうになったことも数多くあります。
これは「不幸」といえばそうなのでしょう。「恵まれた上司」ということでいえばまったく違いますし、「なんて不幸な人生」だともいますが、
そのあとはやめずに仕事を続けていたら、おかげさまでよい上司にも巡り合えました。
人間は悪い記憶は残りますが、良い記憶は消えていってしまいがちです。
これが、「俺の人生は不幸」と思ってしまう要因の一つかもしれません。
いまの世の中、コロナ禍で職を失う人もやりたいことをやれない人も大切な人に会えない人も、とにかく自分の意志で行動できない、行動しても失敗してしまう、なぜか悪い方向へ行ってしまうような状況が2年も続いています。
このような凶行にいたってしまうのは許されないことですが、心の中でモヤモヤした気持ちを抱えている人も多くいるのは厳然とした事実としてあるでしょう。
ですから、もう一度考えてほしいのは「不幸」というのは自分の思い込みであるとうことを認識してほしいということです。
私も転職するたびにパワハラにあい、ようやくいい会社にはいったと思ったら、業務過多の上、給与を下げられ、パワハラ三昧な日々で、休職する・・という経験もしました。おかげに、離婚まで同時に経験することになり、
まさに「なんて不幸だ」と言えるかもしれませんが、これも人それぞれだと思います。
離婚して自由になれた!休職して自由な時間ができた!また別の業界へいくきっかけになった!というポジティブシンキングにとらえる人もいるでしょう。ようは「自分の心持ち次第」だということになります。
②視野が狭い
視野が狭いのも大きな要因かな・・・と思います。
私もよくあるのですが、「人生はこうでなければならない」みたいな考え方をしている人は結構います。
例えば、大手一流企業の正社員じゃなければいけない
とか、給与は年収1000万円以上ないといけないとか、付き合う女性は20代じゃないといけないとか、住んでいるのは東京23区じゃないといけないとか・・。勝手に人生を定義して苦しんでいる人は結構いると思います。
これだけ、移り変わりが激しい時代に、定義するということは無駄かつリスクしかないと思います。
私も地方出身者ですから、大学は東京の大学!!とか、会社は誰もが知っている一流企業!!!とか、年収は1000万円!!!とか、住まいは東京23区で高層階のマンションに住む!!とか、わけのわからない先入観をもって生きてきましたが、実際、有名企業でも、高層階マンションでも、1000万円でも、何がいいわけでもなく、何もよくありません。
どこまでいっても思うのは人間と人間のぶつかり合いがあるだけです。あとは自分の思考だけが付きまとっくるのみです。
妬みや嫉妬、憎しみ、などの負の感情がそちらこちらにあるのが社会であり、そういう感情とどう付き合っていくか、自分も含めてですが、それが重要なだけです。
なるだけ、多くの世界を見て、業界を見て、人と付き合って、本を読んで、視野を広げて、自分を俯瞰的に見ることができれば、「不幸な人生」という定義から逃れることができると思います。
ただ、今の日本社会では1社に所属しないと安定した給与が得られず、社会的にもそうしないとさげすむような傾向があり、生きづらいため、必然てきに視野が狭くなるようなシステムになっていると思います。
もうちょっと流動的に社会で勤労できるシステムを作らないとこういう事件はなかなか減らないとも思います。(何度もいいますが事件自体は絶対許してはいけませんし社会で厳しく監視していく必要はあります)
つまり、詰みやすい人が多く輩出してしまう制度設計になっているということです。最近はファイヤーとかノマドワークとか、ライフピボットとか、労働のフレームワークもだいぶ変わってくる可能性がありますが、ほとんどの企業はまだ、年功序列終身雇用であり、少なくても私たちの世代ではこれが変わることはないでしょう。
いきなりジョブ型に全面的に切り替えることは不可能ですし、企業も追いついていけないと思います。日本はそもそも保守的な民族ですから、そんな大胆に企業の統治システムを変更することは難しいでしょう。
ですから、今の20~30代のみなさんは働き方を自分で複数選択できるような職場を選んでおくといいかなと思います。大手企業とかはそれが許されませんが、中小企業や先進的な企業ならば、副業を認めるところも続々出てきていますし、選択して、リスク分散できることが大事かなと思います。
そうすれば視野も狭まることはありませんし、自分を認めてくれる職場、自分が居心地がいい職場とかも見つけることができるのではないかと思うのです。
③柳の木のように生きたらいい
最後は、柳の木のように生きることがいいかなと思います。
右から左へ強風が吹いてもブランブランして折れないあのイメージで
生きることがいいかなと思います。
私も20代30代は「こうでなければ」と思うことが多かったのですが、
それだと大変疲れますし、相手が自分の考え方と同じなんてことはほとんどありません。
むしろほとんどの人間は自分の考え方とは相いれないのです。親も家族も恋人も夫婦もほとんどそうです。同調することはできますが、心から一致するということはあまりないでしょう。
大人ですからみんなある程度我慢していますが、相性がぴったりということはありません。
ですから、すべては柳のように、右から左へ受け流しては受けがなしては、「これは」というものがあれば養分として取り入れていけばいいかなと思います。
それができるとだいぶ楽になると思います。私も与えられたことは全部完璧にできないといけないと思って仕事をしてきましたが、いくらやってもやっても相性が悪い上司では評価は絶対よくなりませんし、逆にまったくやらなくても給与はもらえてしまうので、もういちいち頑張ることもむなしいと思うようになった時期もあります。
結局人間対人間ですので、少なくても組織に属している限りはそうですし、どんなに頑張っても、上司との1対1の関係で終わりますから、フリーや起業しない限り、その感情は無駄に怒りや不満だけ募らせるだけです。
サラリーマンは気楽な職業だと割り切ってやるしかないですし、それでも納得できないなら起業・独立すればいいだけの話です。
それ以外に仕事以外でも趣味などで生きがいをみつけてもいいですし、
人それぞれなのです。
あとは、他人は自分のことは思った以上に関心がないということも覚えておいたほうがいいです。
家族恋人も含めて、いってしまうと皆一番自分が可愛いのです。
これを絶対に忘れてはいけません。逆に人に思をはせずに自分のやりたいようにやったほうがいいのです。人に気を使って自分が気疲れして倒れても誰もその人を責めることもなければ、パワハラをしていた人間を処分することもありません。
自分を気にかけずして他人を気を使っている愚かな人はいますぐその考え方を改めて、自分を第一に考えて、ほかのことはすべて後回しにしてください。そのくらいじゃないと本当につぶれてしまいますよ。
自分以外は全部ニンジンだと思ってください。そうしないと、本当にみんな自分の都合のよいように解釈して要求して、いざとなったらサーっといなくなります。
間違いありませんからね。これは一部の金持ちや資産家などは余裕がある人間は人に対して思いやりをもてますが、それ以外はそんなことはしていませんししている余裕もありません。
いかに虎視眈々と自分の利益を最大化できるかを常日頃から考えるしかないのです。もちろん目の前に困った人が助けるのは当たり前ですが、それとこれとは話が別なので、長期的には必ず自分の利益が最大化する方法を考えてください。
もし目の前の人を大事にすることが自分の仕事で利益となるならそれでもいいでしょうし、そうでなければそこまで大事にする必要はありません。
割り切って、とにかく、自分を大切にして生きることです。不幸な人生というのは思い通りにならないときにおこる発想であり、戦略と戦術が足りません。ただ、周りに責任を転嫁していても何も変わらないので、この資本主義社会でどう立ち回ればうまく自分のおこぼれが来るのか?利益が生じるのか?いい思いができるのかをしっかり考えて行動するようにしましょう。
あとは多くを求めず小欲でいることも大事です。あれも欲しいこれも欲しいとやっているから、疲れるので、とにかく、うまい飯食えて健康で、住まいもあればそれで充分です。
そのくらいの気持ちでそれを維持する方法を常に考えていればいいです。
考えをとにかく前向きにもっていく方法を考えましょう。後ろ向きになるのは欲望のせいです。欲望は恐ろしいです。自分の人生を壊滅させます
セルフコントロールしながら人生を楽しみましょう。(了)
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