みなさんこんにちは孤独のサイコマンです。
きょうは、菅義偉首相が、自民党総裁選に出馬しない意向を示したニュースについて自分の考えをお伝えしたいと思います。
①権力に固執しなかった
菅首相は実質1年で総理大臣の任から離れることになります。
ふと思ったのは安倍首相が長期政権だったこととの比較ですが、
もちろん状況は全く違いますので比較することはできません。
しかし、安倍首相に比べると権力の座に固執しない菅首相の考えが
根底にあるような気がします。
コロナ対策と両立できないことを理由に総裁選に出馬しないということですが、これはあくまでも建て前だと思います。
本音としては、菅首相のまま衆院選に突入すると、野党に敗北する危険もあったことから、冷静に自らを含めた人事を一新する必要があると判断したと思います。
その部分は英断ですし、政治家のめざす最高峰の身分である総理大臣の立場を1年で潔く退く決断を尊重できると思います。
野党はさっそく「無責任だ」と批判しています。立憲民主党の枝野さんも「菅内閣はレームダックになり、新型コロナウイルス禍に政治空白が生じる」として、自民党全体に政権運営する能力はないと断罪しています。
しかし、国民にはコロナ禍が2年以上続き、もう疲弊のピークとなり、緊急事態宣言でも行動制限はきかなくなっていました。菅さんの総理としての言葉は力強さがなく、ペーパーの読み上げに終始していた感もあり、このままでは政権運営自体がおぼつかないし、じり貧状態であることは誰の目にも明らかでしたから、総理大臣を新しい人間が担うのは非常に合理的かつ効果的だと思います。
②立場変われば自分の能力が出せないこともある
菅総理は安倍首相に7年間官房長官として仕え、適格かつ冷静なスポークスマンとして高い評価を受けていました。
そして安倍首相の持病の悪化による辞任で満を持して電撃的に総裁選に出馬して晴れて総理大臣になったものの、コロナ禍の対応という厳しい政治状況の中、結局そのアビリティーを余すことなく発揮することはできず、1年で退陣するということになります。
このように見てきて思うのは、やはり人は適材適所がある、ということです。官房長官と総理大臣という国のトップとその女房役という位置づけにおいても、菅さんは女房役で影の総理大臣としてコントロールをすることはたけていましたが、舞台の前面に出て、国内外に情報発信をして、官僚をコントロールして締め付けて、個性派ぞろいの閣僚をうまく手玉にしながら、二階さんなどのボスキャラたちとの渡り歩く多方面外交をする能力は残念ながらそこまでたけていなかったということになります。
これは一般人でもよくあることで、営業から人事、人事から総務に異動したらとたんに能力が発揮できなくなることが往々にしてありますし、それがもとで退職したり、休職したりする人もたくさんいいます。
要するに自分の適職が何かを常に頭で考えて感覚を磨いていないと痛い目にあうということになります。
私も20年社畜人生やってきて、やはり、1人でコツコツ何か物事を行うことのほうが得意ではあるということがようやくわかってきました。
昔からチームプレーだと相手に気を使ってうまく実力を発揮できませんでしたが、一人きりで何か物を作ったり遊んだり、勉強したり、いってしまうと自分のペースで仕事ができることが一番楽だということが実感しました。
これはおそらく実家も自営業でそういう家族だけで仕事をしていたことによる影響もあると思いますが、とにかく色々な人間とかかわって仕事をすることが苦手なんだなあと実感しました。
菅総理から自分の仕事の話ではまったく比較検討もできる余地はありませんが、そうはいっても、同じ人間ですし、仕事に貴賎なしですから、十分今回のことは多くの社会人に当てはまることだと思います。
丸い釘は丸い穴にのパーソンズさんのことばどおり、しっかり自分のキャラクターと特性を客観的に分析して、そして、それにあった仕事を見つけることが何より大事だということになります。
③サポート体制ができていなかったのでは
最後に気になるのは、菅さんを官僚や閣僚、自民党幹部がサポートできていたのかという点です。
一部報道では、官房長官のころに比べると、情報があまり菅さんのところに集まっていなかったのではないかという指摘がありました。
いってしまうと、官僚が怖がってきちんと情報を出さなくなったということなのかもしれませんが、それにしても、孤立を深めていた可能性はあると思います。
長男の接待問題などで情報のリークについて疑心暗鬼になっていた可能性もありますが、それにより官僚との溝が深まってしまっていたのかもしれません。
どんなに優秀な人間でも一人で何か達成することは困難です。
やはり、胸襟を開いて、話ができるチーム作りが重要ですが、菅さんはどうも女房役として、情報を自分でさばいてコントロールする能力はたけていたような気がしますが、トップになって、上がってくる情報について、ただ重要度を精査して、実行にうつすことを指示するということについて最終決定をすることは得意ではなかったのかもしれません。
黒子に徹して仕事をする人が得意な人、トップにたって、バシバシ部下に指示を出して責任はしっかりとるリーダシップにあふれているタイプと色々タイプがいますが、菅さんは黒子に徹するのが得意なタイプだったのは間違いないと思います。
ですが、秋田県湯沢市の片田舎に農家の長男として生まれ、高校卒業後「東京へ行けば何かが変わる」と上京し、板橋区の段ボール製造工場で勤務をして過ごしたその経歴はどこにでもいる田舎から夢を求めて上京した若者と何も変わりません。
上京から2年後に法政大学に入学し、実家から仕送りを受けつつ警備員や新聞社、カレー屋などのアルバイトで学費を稼でいたところも我々と何らかわらない普通の大学生です。
そのあとは政治家を志し、小此木彦三郎の秘書となってから政治の道に入りますが、そこまではごくごくありふれた青年がここまで総理にまで上り詰めたといいうことです。
強運もあったのでしょうが、やはり運も実力のうちですし、ここで1年で退陣となっても、ここまで上り詰めたのはわずか99人ですから、その度量と才覚はすさまじいいものがあると思います。
仕事は仕事と割り切って、コロナ対策に残りの任期を全うしてほしいと願うばかりです。(了)
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