みなさんこんにちは。孤独のサイコマンです。きょうは天気がよく気温も上昇、本格的な春到来といった感じですね。ランニングしていても、汗ばんでくるのを感じます。
心なしか走っている人の数も増えてきている気がします。コロナ禍がなかなか収束しませんが、運動をして免疫を上げていきましょう。
さて、きょうは集団脳は危ない!というテーマでお話ししていきたいと思います。
①日本の恐るべき「集団教育」
みなさんは小学校、中学校、高校、大学(専門学校)、会社とすべて集団で行動をしてきたと思います。
ここで恐ろしいのは、すべて同じ内容を同じ時間、同じメンバーに対して同じ教師が教育をするという
「集団教育」を20年近くほどこされるということです。
クラス替えや教師の入れ替えがあったとしても国が決めた学習要綱に従い、すべて同じ教科書で同じ内容を同じ時間教え込まれるという異常な教育システムの中、私たちは学校を卒業し、これまで年功序列・終身雇用の会社に入社し、ひたすら、これまでの慣習やシステムに沿った会社の方針に従ってマニュアル化した仕事を繰り返していくということになります。
なぜ、このような独創性を阻害するような学習カリキュラムになっているのか、学生当時の私には「これが当たり前」だと思い込んでいましたが、
会社に酷使され続けるうちに体調を崩し、ようやくその正体が見えてくるようになりました。
②思考を停止させ国のために労働させる社会
日本が徹底した集団教育をほどこす理由について考えるとそれは、異論や反論をはさまず、労働に従事させ、
そこから会社の売り上げに貢献し、法人税や所得税、住民税、社会保険料を確実に徴取できる「金太郎飴人間」を
大量に生産することにあるのではないかと思います。
実際、数学、社会、国語、理科、英語など勉強することは大変重要だとは思います。社会に出てこうした知識が全くないのでは、目の前に起きている事象が解明できず、暗闇の中で、さまよっているのと同じだからです。
基礎的な社会で生きていく知識は不可欠だとは思いますが、もっと融通がきく教育システムであったもいいかとは思います。
希望する学校に選択肢がないのはどう考えてもおかしくはないでしょうか?
小学校、中学校はもちろん、高校も居住地の学区内でしか選ぶことはできません。大学からは自分で選べることができますが、それまでは半ば強制的な義務教育を受けることになります。
科目も、なぜ、国語、数学、英語、社会、理科といった少数の科目しかないのでしょうか?
今社会に求められているパソコンのスキル、プログラミングスキル、コミュニケーションスキル、ITスキル、金融リテラシーなど社会に出て「勉強しておけばよかった」と思うスキルを身につける科目がなぜ義務教育にないのか、不自然な気がします。
生物、化学、物理など理科系の科目よりも、パソコンのスキルのほうを身に着けたほうが、就職するうえでも圧倒的に有利だと思います。私は生物をとっていましたが、全く現時点まで役に立ったことはありません。(自身の体の仕組みなどは参考にはなると思いますが・・・)
③幼児期から選択できる社会をめざしたい
日本は、少子高齢化社会に突入して人生100年時代などといわれていますが、
とにかく選択できる社会にもっとなってほしいと思います。
学校もそうですが、対面授業が苦手ならば、オンライン授業で学習するのも選択肢として導入する。
それならば、対人関係が苦手な子供でもいじめなどにあわず、知識だけ得ることができると思います。
コミュニケーションスキルがみにつかないといいますが、どうしても対人関係が苦手な人間に無理をして
集団行動をとらせることには賛成できません。逆にいじめや嫌がらせにあい、引きこもりなどの行動を誘発してしまうと思います。
会社においても同じ入社年次で毎年査定され、賃金が昇給していくメンバーシップ制も間違いなく崩壊していると思います。
入社1年目からでも優秀な人間はしっかりとして給与を与え、逆に20年目でも30年目でも仕事をせずにネットサーフィンしかしていない老害の社員たちはクビにはできなくても、それなりの給与に下げて、若手のモチベーションアップを図らせるべきです。
パワハラやいじめがなくならないのはこうした年功序列が最大の弊害だと思います。とにかく長くいれば偉いといったわけのわからない社会の仕組みをなくして、年次が若手であっても意見をどんどん言って、その意見がよければ採用していく仕組みづくりを急がないと学校にしても会社にしてもそのうち制度自体が崩壊するのは目に見えています。
日本の社会はあまりにも右向け右の集団意識が強く、個人個人のスポットライトを与えない仕組みが多すぎます。
もっと選択できる社会に向けて、制度設計から根本的にかえていく必要があると思います。
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