HSP×社畜のトキメキ処世術(100)「コンフォートゾーン」の功罪 | 損切り君がいく

HSP×社畜のトキメキ処世術(100)「コンフォートゾーン」の功罪

soldiers in line to get in a plane 人生
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みなさんおはようございます。孤独のサイコマンです。

ゴールんでウィークも折り返しです。

あっという間ですが、今年はコロナ禍であまり外出しない方も多いのでしょうか。

私も今日から今週はずっと仕事です。世の中休む人はいますが、まったく休めない人もいると思います。不平等ですね。。そもそも仕事があるだけまだありがたいと思わないといけない時代なのでしょうか。

きょうはコンフォートゾーンについて考えたいと思います。

コンフォートゾーンとはその人にとって居心地の良い環境のことをいいますが、

よく自己啓発本などではコンフォートゾーンを抜け出さないと成長できないなんて記されています。

まさにその通りだと思いますが、私はちょっと違った観点からこのコンフォートゾーンについて考えたいと思います。

①母親がサングラスをかけていたときに放たれた一言

woman in red dress wearing brown framed sunglasses
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まだ私が幼少期のころの話ですが、片田舎の別荘を舞台に実家は商品を届ける仕事をしていましたので、私はよくその仕事を手伝っていました。

別荘地に来る客というのは大体東京である程度資産を気づいているお金持ちの方が多かったのですが、

ある日日差しが強く、私の母親がサングラスをしていたのですが、それについてその別荘地の婦人が「まあ、サングラスなんて生意気な」みたいなことを言われた記憶があるのです。

母親は特段気にはしておらず「お金持ちは仕方ないねえ」と言っていましたが、私にとってはかなり違和感があったのを覚えています。

そもそも、日差しが強いので目を傷めないためにサングラスをつけているのに、いわゆる商売人のくせになんでサングラスをかけているのかという立場を下に見る意識があり、そういったのでしょう。

商売人は私たちみたいな別荘地を持っているようよう人間とは違うのよ。みたいな雰囲気にものすごく嫌気がさした記憶があり、逆に振り返ると、この婦人は自分たちが資産家であり、お金持ちであるという立場に、商売をしている自営業の女性がサングラスをして現れたことで、そのコンフォートゾーンを侵されて不快感を覚え、そういう発言にいたったのだと思います。

幼いころの出来事ながら、世の中には漫然ながら、心に差別という病を持っているような大人がたくさんいて、こういう差別意識がはびこっているのではないかと思い始めました。

②パワハラ・いじめ・差別につながるコンフォートゾーン

wood figurines set on surface
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幼少期に経験したことではありますが、このことは大人になるまでずっといろいろ手を変え品を変え感じてきたことです。コンフォートゾーンを侵されると人は拒絶反応や過剰反応を示すことです。

いわゆるそれは「こういうタイプの人間はこうでなければいけない」とか「この人は生まれがこうだからこの程度の身分でなければいけない」などの大方は先入観によるところが大きいと思いますが、これにより危惧されるのが「パワハラ」「いじめ」「差別」などの問題が起きてくることです

小学校においても、やはり出身の地区であったり、親の仕事が何であったり、身長・体重・持病などみな千差万別なのは当たり前なのですが、ここでも自分にとって常識であり当たり前であっても、他人にとって居心地が悪くなる、いわゆるコンフォートゾーンではないところに位置する人間に対して、ストレスを感じ、攻撃をするといった光景を何度も目の当たりにしてきて同時に嫌気がさしてきました。

まず、いじめに関しては小学生のときは太目の人間は大体いじめられていました。この時申し訳ないのいは、記憶の中では私も間接的かもしれませんが、そのいじめを見て見ぬふりをしてきました。今考えると自分のコンフォートゾーンを侵される危険性があったのかもしれませんが、それでもある程度ほかのクラスメイトの行動を制止しなければいけなかったかもしれません。

それができなかったのは私にも責任があります。

その時の罰があたったのか、今度は中学生・高校生のときは私がいじめの標的にされました。結果的に中学のときは「生意気な」という理由、勉強が若干できたことなどが理由だったと思います。

苗字にばかをつけられ、今も痛々しい記憶として残っています。

高校のときは中学時代おとなしかった人間たちにいじめの標的にされました。理由はおそらく勉強だったと思いますが、私自身もこのころ、容姿や身体能力などほかの高校のクラスメイトよりも劣っていると自覚していたため、自信がもてなくなっていたことが大きいかったと思います。

言い返したりもなかなかすることができず、ただ、悪口や暴力に黙っていた記憶があります。いじめやパワハラにあっている人たちの共通項として大きいのはやはり「言い返す」「やり返す」ことができない心が優しい人たちが多いと思います。

しかし、今考えると圧倒的にこれはいじめられている側、パワハラを受けている側にとっても自分のコンフォートゾーンを侵害されていることになります。それを受忍していることはどう考えても人権の観点からもおかしく、私はようやくそれに気づいてもし何か今同様のことをされるならば、言い返したりするようにしています。「やられたらやり返す」というのは人間の本能においても当たり前のことだと思います。

③コンフォートゾーンを保持する方法は?

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コンフォートゾーンは人生において大変重要だと思います。

もちろんお互いを尊重しながらいていく上で、相手にとっても自分にとっても適度な距離感を保ち続けるのが重要だと思います。

そのために重要なことは、まず第一に「基本的にグループに所属しない」ということだと思います。

学生時代、また社会人になっても日本人はとっても「派閥」が大好きです。グループに所属したい衝動にいつも駆り立てられているともいえます。

家族、学校、会社、その中でも仲の良い派閥同士に分かれて、だれかを批判したり、別のグループの人間を攻撃したり、、、そういうのが人間は大好きですよね。

私も人のことはいえないのですが、最近では極力グループに所属しないように努めています。プライベートでも、グループでよく遊びに行っている人たちがいますが、なるべく参加せず、一人で家にいて、一人で本を読み、一人でランニングをして、一人で思索にふけるようにしています。そのほうがいろいろアイデアをわいてきますし、余計な対人関係で脳を使う必要もなくなり、非常に生きやすいと感じています。

もう一つは、他人の悪口を言わないことだと思います。他人の悪口をいうということは、何しかしら精神的にその人間に、影響を受けて、その人に感情的に支配されつつあることだと思います。

しかし、それこそがコンフォートゾーンを自分自身で犯している行為にほかならないと思うのです。

だったら、とにかく変なことを言ってくる相手は「すべて無視」をすること。ばかな上司、ばかな同僚、あほな後輩など、一通り、何を言われても感情的にならず、距離を取り続けることが大変重要なことだと感じています。

振り返ってみれば、いじめにあっていたころのことを思い出すと、「反応してしまっていた」ことが思い出されます。反応をするということは相手にとってはおもちゃなのですから、恰好の餌を与えていることになります。反応をみていじめは楽しんでいるわけですから、反応さえしなければ、相手はいつか飽きて、何もしてこなくなるのです。

そのところがよくわかっていなかったため、ひたすら反応して無駄に攻撃を受けていたことになります。それがいかに無駄で相手にとって有益なことをただ献上してしまっていたか、今考えればよくわかります。

人間は他人と交わってこそ、喜怒哀楽を表現できますし、自分という人間が何者なのかもわかってくると思います。しかし、それ以上にいまの人間は大人ではなく心が廃れてしまっている人が大勢います。

私はつとに疲れていますので、人間関係は極力避けるようにしています。会社では特に、会話はせず、自分自身のことをよく考えるようにしています。

皆さんはどのように自分自身のコンフォートゾーンを保持していますか。ぜひいい方法があったら教えていただければ幸いです(了)

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