おはようございます。孤独のサイコマンです。
きょうから再び11日まで緊急事態宣言が東京、兵庫、京都、大阪に発動されました。
計3回目の発動となります。緊急た事態宣言というと最後の手段というイメージがありますが、バーゲンセール並みの発動の仕方に正直政治不信となる方もいると思います。
私は行政の専門家ではありませんが、この3回目の発動について考えてみたいと思います。
①実質的な禁酒令の発動に
今回の緊急事態宣言で最も重視しているのは複数人でお酒を飲む場を制限しようとしていることだと思います。
今回の措置令ではお酒の提供する飲食店に対して休業を要請しました。
お酒を飲むと気が大きくなり、マスクを外して会話をして、その飛沫が目の前の料理やお酒に入り、それを食べたり飲んだりして、感染が広がる・・。想像すればこれほどリスクの高い行為はありません。
私も去年と今年の2回の緊急宣言解除後に、町中を歩いてみると居酒屋やバーなどでは特に若い人たちが集団で密集状態でお酒を飲んで近い距離で大声で話し合っている姿を見てきましたが、「間違いなくあの状態だと誰かがウイルスを持っていたら感染するだろうな」と素人でもわかる状況がここかしこにあふれていて、「もうこれはタガが外れた状態だ」とあきらめました。
自制できない人たちももちろん原因がありますが、何より政府のその場しのぎのずさんな政策が要因としてあると思います。おそらく緊急事態宣言が発動されこの25日から11日という2週間程度の期間でどれほど効果があるのかはなはだ疑問ですし、
そもそも、これで重症者の病床使用率が改善されたり、感染者の数が減ったとしても、それで解除すれば、間違いなく若者を中心にその反動で街に繰り出し、酒を飲んで大声でまた会話をして肩を組んで歌を歌って・・となるでしょうから、感染が再び拡大するのは目に見えています。
ですから今回の禁酒令の発動は効果としてはある程度出ると思いますが、残念ながらまた緊急事態宣言が解除されたら、元に戻るでしょう。間違いないと思います。
②政権はオリンピックをどうしてもやりたい
前回の緊急事態宣言解除については私の考えでは聖火リレーのスタートがまじかに迫っていた状況でしたから、政府としては解除せざるを得ない状況だったと思います。
どうしてもオリンピックを実行したい政府としては、今回も5月11日以降どういう決断をするかは不明ですが、基本的にはオリンピックありきの対応だと踏んでいます。
菅さんは10月に衆院選挙が控えていますから、支持率の動向も気になるところでしょう。オリンピック中止が吉と出るか凶と出るか見通せないことも一つあると思います。
各地ですでに聖火ランナーが相次ぎ辞退しており、さらに、聖火リレーそのものを一定の場所、大阪市や松山市などでは中止する事態が相次いでいますが、それもそのはずだと思います。芸能人は好感度が重要ですから、この感染拡大の中でランナーとして走ることはデメリットしかありませんし、そもそも移動による感染の危険もあります。
それでも、なお聖火リレーを続けることは正気の沙汰ではないと思いますが、菅政権としては聖火リレーの中止はイコールオリンピックの中止につながる恐れがありますから、聖火リレーには間に合う形で2回目の緊急事態宣言を解除したものだといえます。
緊急事態宣言を解除した後は案の定、感染者がどんどん拡大していきました。皆夜は遅くまで宴会で盛り上がり、若者は公園でたむろして顔を突き合わせて酒を飲み交わして、次々感染者が出ていきました。
政府はあわてて、まん延防止等重点措置という緊急事態宣言に準じる措置を取りましたが、効果は全くなく、結局3たび緊急事態宣言を発動しましたが、やることが明確ではなく、効果もあいまいで、目的も定まっていないので、国民はかなり疑心暗鬼になっていると思います。
二階幹事長もオリンピック中止にまで一時言及しましたが、実際危機感は政権内でも広がって言えると思いますし、そのXデーが近づいている可能性もあると思います。
③ゴールデンウィークでみんな我慢できるか?
きのうは全国知事会でもオンライン会議で緊急提言がまとめられていました。ゴールデンウィークを前に都道府県境をまたぐ移動抑制のよびかけや旅行のキャンセル料を国が全額負担することが盛り込まれています。
ここで、すでに旅行の予約をしてしまった人たちが大勢いると思いますが、ここでキャンセルする人が大半だと思いますが、中には「国なんて知ったことではない」として旅行に行く人もたくさんいると思います。特に都道府県をまたぐ移動は制限されているわけでもないですし、
罰則もないわけですから、人の目を気にしなければ、好き勝手いってもお咎めはありません。
ここで私も恐れているのは国民のみなさんの「宣言慣れ」です。緊急事態宣言の発動がされた去年4月のときと、今回とでは街中にただよっている緊張感がまったく違います。あのときはマスクはどこにいっても品切れで食品スーパーには行列ができており、「まさに有事状態」だったので、これは恐怖すら感じましたが、今回はみなどこか「もう仕方ないよ。うつったらうつったで。。。」という雰囲気が如実に表れています。
わたしもエッセンシャルワーカーですので、リモートワークではなく実際会社で働いており、会社と自宅の移動をいまもしていますが、やはり駅や市街地でも雰囲気はあのころとは大きく異なり、普通の暮らしといった感じになっています。
あとは飲食店が今回いうことをきいて、休業するかどうかですが、補償がしっかりとされない状態だと「やらざるをえない」と感じているお店は多いと思います。
国になんか従っていられるかという声も多く聞こえてきますし、その主張もわかります。テナント料や従業員への給与は払わないといけないのに、補償がないのでは、首をつれといっているようなものですし、その切迫感が国には伝わっていないように感じます。
ただ、一方で、医療機関の病床の逼迫率も大阪などでは実質重症病床使用率が100パーセントを超えるなど逼迫してきています。
今回のコロナ禍で思うのは若者と中高年と高齢者の意識のギャップです。若い人になればなるほど、重症化するリスクが低いので行動に制限がかけづらいことになっていますし、高齢者は常にコロナの恐怖と闘わなければいけません。
ここで、特に若い人に考えてもらいたいのは「自分の祖母や祖父が感染して重症化したら・・・」ということです。やはり他人の話だとどこか上の空になってしまうと思いますが、実際身近な人間が感染したら、慌てたり危機感を持つのだと思います。
普段、会社でも個人的に付き合いのある仲間でも電話でも話すときは「周囲に感染者がいないので、あまり切迫感を感じない」という声が多く聞かれます。
実際私もそうですが、いま思えるのはたとえば神戸市では今月に入って40代の基礎疾患のない若者が感染後に亡くなっているというニュースがありました。
私と同世代の比較的重症化しにいくいと思われている中年ですら、最悪死亡という事実が増えてきています。
変異株が猛威を今後ふるってますます重症化のリスクは高まりますから、今後大事なのは日々のニュースにおいて、冷静に考える力と他人を巻き込むという危険をいかに想像できるかだと思います。
厭世観が強まっており、制御が不能になる恐れがあります。しかし、ここは踏ん張りどころだと思います。
私の世代では阪神大震災、東日本大震災、西日本豪雨など大災害が相次いで起こり、今回のコロナについても100年に一度のウイルスのまん延という危機ですが、一人ひとりの行動が他人の命を握っているというこれまでにない稀有な状況の中で正常に頭を働かせて生きていくのは大変なことです。
周囲の人に流されるのではなく今この手にウイルスが付着したら・・という身近にある危険をいかに想像して対処できるか・・・それに今はみなが全力で向き合うことが大切だと思います。
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